
『遠山物語』ムラの思想史 後藤 総一郎/著 筑摩書房/刊
| 民俗学者たちがいうように、長野県南の谷あいのひとつ「遠山」からは、北から入るにせよ南から入るにせよ、山のかなたにある隠れ里のイメージが湧く。著者によれば、昭和35年合併によって南信濃村が誕生した時点で、「遠山」の地名は地図上から消えた。文明から遠い里というある種の暗いイメージから、己を解放し脱出したい村民の希求が、どこにでもある普遍的な抽象的名称を選んだのだろうと著者はいう。 にもかかわらず、著者は自書にあえて「遠山」という呼称を用いた。本書の著者後藤総一郎氏は、旧信濃村和田に生を受けた歴とした遠山びとである。『遠山物語』は、そのような著者の、里恋い人恋いの書であり、山と谷を慕う心熱いふるさと賛仰の書でもあるのだ。 私たちは、この遠山という里をあの霜月祭りの故地として、民俗の香の豊かな谷と見がちである。著者は柳田民俗学の継承者であり、もちろんこの有名な祭に一方ならぬおもいを寄せ、「霜月祭りは、遠山共同体の最も貴い構成部分であり、生活であり、政治であった。同時にそれはそのまま、遠山常民の精神史であり、いわば『バイブル』を意味した」と述べている。 祭りに寄せる熱いおもいを胸裏に秘めて、著者は第二章以下、民族学徒の精緻な目で郷里南信濃在の人とくらしの推移を述べる。村史の資料を随所に散りばめ、時には住民の聞き書きなどを交えて古代から現代までを書き綴る筆は、単なる歴史ものではなく、当に語部の息遣いをおもわせるものがある。とりわけ、著者がこの里に暮らした幼少年時代の思い出は、鮮烈な感動を読者に与えることだろう。書名の、「遠山物語」の所以がここにある。 忘れてはならないことは、遠山を離れた著者が常に遠山常民の視座で物を見ていたことだ。里の住民と同じ目線でムラの歴史を検証しようとするこの姿勢こそが、「血につながるふるさと」への熱くそして温かな著者のおもいを、読者に訴えてくるのではないだろうか。 |
| (Y.Y) |